第1回[転倒事故](東京都介護福祉士会ニュース第57号所収)
4.Q&A
Q1.A医院が損害賠償の責任を負わされる法律上の根拠は何ですか。
A1.あなたが、例えば冷蔵庫を購入したいと考えた場合、購入したい特定の製品を指定して店の従業員に伝えます。店側は、それを受けて契約書などの書類を作成し冷蔵庫の納品日や支払方法などを確定します。その結果、店には冷蔵庫をあなたに引き渡す義務が生じ、あなたには代金を支払う義務が生じます。このように、私たちが社会生活を送る上で何らかの約束事をすることを「契約」といいます。  本件でも、山田さんはA医院に対してデイケアと送迎を申し込んでいますが、その結果A医院は山田さんに対してデイケアと送迎をする義務を負担し、山田さんは代金を支払う義務を負いました。裁判所は、これを「診療契約と送迎契約が一体となった無名契約を締結していた」と認定しました。(無名契約というのは、民法などの法律が特定の名称を付けていない契約のことで、特別なものではありません。)
 契約は、相手方に冷蔵庫を引き渡す義務や、送迎を行う義務、代金を支払う義務など契約上定められた「義務」を発生させます。そして、この義務に違反して、冷蔵後を引き渡さなかったり、期日までに代金を支払わなかったような場合を「債務不履行」(さいむふりこう)といいます。債務不履行が生じると、契約違反として損害賠償などの責任を負わされます。
 本件で裁判所は、A医院は山田さんを送迎するに際して、山田さんの生命及び身体の安全を確保すべき義務(「安全確保義務」)を負担していたと認定しました。
 「安全確保義務」あるいは「安全配慮義務」といわれるものは、医療や介護の分野のようにそもそも業務自体に人の生命や身体に対する危険を内包している業務について認められています。


Q2.債務不履行の内容について説明してください。
A2.「安全確保義務」といっても、抽象的でここから直ちにA医院の義務違反=債務不履行が導かれるわけではありません。裁判所は、「安全確保義務」を果たすための具体的な義務の内容として、A医院へ通院するために山田さんを送迎するにあたっては、同人の移動の際に常時介護士が目を離さずにいることが可能となるような体制をとるべきであったとしました。なお、事故当時の山田さんの身体状況について裁判所は、自立歩行が可能であり、中程度の痴呆状態が認められるが簡単な話であれば理解し、判断することができた。貧血状態であり、体重は減少傾向にあったと認定しています。
 そして、A医院の義務違反の内容として、上記のような具体的な義務を負っているにもかかわらず運転手を兼ねた介護士佐藤さん一人しか送迎バスに配置しなかったため、佐藤さんが山田さんから目を離さざるを得ない状況が生じ、その結果佐藤さんは山田さんの転倒を防ぐことができなかったとしています。A医院としては、①介護士佐藤さんに対して、送迎バスが停車して山田さんが移動する際に同人から目を離さないよう指導するか、それが困難であれば②送迎バスに配置する職員を増員するなど本件のような転倒事故を防止するための措置を講ずることは容易に行えたにもかかわらずそれをしなかったことにより「安全確保義務」を怠ったとしました。


Q3. 山田さんは、肺炎で死亡していますがA医院はここまで責任を負うのでしょうか。
A3.他人に損害を与えた場合にどこまでの損害を賠償しなければならないかという問題があります。これを「因果関係」といいます。例えば、交通事故で歩行者に怪我を負わせた場合を考えて見ます。その歩行者がたまたま社用で取引先と契約を締結するため出かけた途中で事故に遭い契約できず会社が損害を受けたとしましょう。交通事故の加害者はこのような損害まで負担しなければならないでしょうか。民法は、損害賠償の範囲として「通常生ずべき損害」を原則として、それ以外の損害については当事者が予見したか、予見可能であった損害だけを含めています(民法416条、これを「相当因果関係」といいます。)。歩行者がどのような目的で歩いているのかは通常は予見できません。したがって、例の場合は会社が受けた損害は含まれないとされています。

 本件では、山田さんが転倒して怪我をするというところまでは「通常生ずべき損害」といえるでしょう。問題は、肺炎を発症して死亡するところまで損害の範囲に含まれるかということです。裁判所は、損害賠償の範囲に含まれるとしました。少し長いですが、判決書を引用します。「一般に、老年者の場合、骨折による長期の臥床により、肺機能を低下させ、あるいは誤嚥を起こすことにより、肺炎を発症することが多い。そして、肺炎を発症した場合に、加齢に伴う免疫能の低下、骨折(特に大腿けい部骨折)、老年性痴呆等の要因があると、予後不良であるとされていることからすると、本件のような事故が原因となって、大腿頸部骨折を負った後、肺炎を発症し、最終的に死に至るという経過は、通常人が予見可能な経過であると解される。」
 判決がいう「通常人」が、専門職である介護士(現在は「介護福祉士」)を指しているのか、専門職ではない私たち一般人を指しているのか、あるいはA医院という医療法人などの事業者を指しているのか判決ではこの点は明確にされていません。文脈からは、A医院と考えられますが、もう少し詳細かつ緻密な判断を示して欲しかったところです。
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